おばあちゃん。
1月25日。
祖母が亡くなりました。
満97歳、数えで99歳。
大往生です^^
昨年11月末頃
祖母が突然食べれなくなりました。
その時に母や伯母がお医者さんから言われた事は
このまま食欲が戻らなかったら、もって1週間
でした。
その日から
母と伯母は毎日祖母のもとへ通い、食事の介助をしていました。
そうすると、どんどん食欲を取り戻し完食する日も出て来たんです。
祖母の誕生日は12月8日。
1週間もたないかも…
とまで言われた祖母は無事97歳となりました。
その約1週間後
私も宝塚へ帰りました。
滞在中は
なるべく祖母に会いに行きました。
前々回の記事にあげたように
家族全員で写真も撮る事が出来ました。
帰京する前日も会いに行きました。
私は
「また来るからね、おばあちゃん」
と言って施設を後にしました。
祖母は「ニコッ」としてくれました。
それから20日後の24日。
祖母、急変。
それでもまだ。
私はどっかで
「あのスーパーおばあちゃんのことやから、きっとまた持ち直す!」
なんて思っていました。
その日は母が泊まり込み、翌日午前10時半頃。
母と電話で話しました。
「呼吸が苦しそう」
「そっか…」
そんな会話をした約20分後。
祖母は97年に渡る人生の幕を閉じました。
「眠るような最期」のお手本のような旅立ちだったそうです。
それから5時間後。
私はおばあちゃんの元に到着。
不思議と涙はあまり出ませんでした。
きっと。
ずっとどこかで覚悟していたんだろうな。
実は年末年始の帰省を終え
自宅に帰ってから、不眠症が過去最悪の状態でした。
多分、浅く寝ている時もあるんだろうけど
意識は常にあるような感覚で
どんどん身体が重く怠くなっていっていて。
自分でもこのままでは
いつか絶対倒れるんだろうと思うくらいでした。
眠れてないものだから、毎日頭痛が酷くて
痛み止めを飲まない日がないくらいでした。
それでも全く眠くならないんです。
それが。
葬儀が終わった夜からストンと
まさに落ちる感じで眠れるようになって。
きっと。
無意識のうちにいつ母から電話がかかって来ても大丈夫なように身体が、脳が起きようとしていたんだと思うんです。
永遠の眠りについた祖母の顔は
本当に穏やかでした。
最期のお別れの瞬間は
やはり色々な事を思い出し、涙が止まらなくなりましたが、これで大好きなおじいちゃんに逢えるんだと思うと
「良かったね、おばあちゃん」
って言う自分もいました。
私は祖母にとって初孫でした。

※母、祖母、伯母、そして私^^
その頃
まだおばあちゃんは現役バリバリで働いていました。
大正から昭和と激動の時代を生き抜いたおばあちゃんはとても強く、悪さをすれば厳しく叱られたりもしました。
それでも、旅行に行ったらお土産を必ず買って来てくれ事、美味しい手料理を食べさせてくれた事、オトナになってからは祖母が愛用していたルイヴィトンのバッグをプレゼントしてくれた事。
私の仕事の帰りが遅くなると心配して起きて待っていてくれた事。
優しく温かい思い出もいっぱいあります。
おばあちゃん、ありがとう。
当たり前だけど、おばあちゃんがいなかったら私はこの世にいません。
何より

大好きで大切な家族を作ってくれてありがとう。
おばあちゃん。
気の強さは控えめに(笑)おじいちゃんと仲良くしてね^^
またね、おばあちゃん♡
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